異文化交易の世界史


 フィリップ・カーティン『異文化間交易の世界史』(NTT出版、393ページ、4200円)が出版されました。10年ほど前の国際体系ゼミのテキストに使った本です。当時から翻訳の話があったのですが、紆余曲折を経てようやく実現。何しろ初めて聞く地名・人名の続出と原書に散見する誤植に苦労させられました。因みに、ゼミの参加者が「下訳」したのでは決してありません。共訳ですが最終作業は山影がしたので、誤訳などは100%山影の責任です。5千年にわたる世界各地の「交易ディアスポラ」について知れば知るほど、グランド・セオリー(巨大理論または誇大理論)が空疎に見えてくるでしょう。因みに、あまりの分野(はたけ)違いに、訳者の山影は、実は同姓同名の別人という説もあります。



◆ 短評 ◆

 この本を山影先生のゼミで輪読していたのは、もう10年も前の話だ。毎回、数頁しか進まない読み方で、初めて大学院生と一緒に輪読に参加した私(当時は学部生でした)は、「大学院ってのは、えらい精読をするんだなぁ」と感銘を受けた記憶がある。それも註にひいてある文献を、原則として全部集めて、引用箇所については担当者がそれを要約して、発表する!という精密さだった。私はそのとき、初めて本格的な輪読に参加したので、それが当たり前と受け入れていたが、それ以来、そんな読み方をするゼミに参加したことはない。おかげで、マイナーな文献を集める術については随分、自信がついた。あとは、要領よく(ズルをして)文献を斜め読みをする術を覚えた。
 正直、貧しい読解力しか持たなかった私は、文献を集めるまでが一番楽しかった。先生に「光辻君、肉体労働じゃないんだよ」と皮肉を言われるほど、みっともない発表しか出来なかったが、その肉体労働が本当に楽しかった。一方で、文献を集めるばかりで、読まない悪習はあれ以来のような気がする。
 さて、本の内容であるが、「交易離散共同体」というのは、(今更であるが)とても面白い概念だ。国民という形以外での共同体のあり方が提示されている。そして、このようなあり方が歴史上、非常に普遍的なものであったことが、この本で数限りなく挙げられている事例を読めば明らかである。今日の少数民族問題の前提の一つがここにあるのだ。無論、それ以外にも交易史の本としても、異文化間関係の本としても、とても面白く読める。グランドセオリーが提示されているわけではないが、陳腐な表現になってしまうが、一方では歴史の普遍的なパターンと豊かな多様さを同時に感じなおすことが出来る。
 交易離散共同体という形での人間集団のあり方は、今日すでに普遍的なものとは言えない。交易離散共同体というあり方を不可能にしたのは、著者が最終章で指摘しているようにヨーロッパの圧倒的な優勢のもとで、商業のルールがほぼ統一され、仲介が必要で無くなったからなのだろうか。それとも訳者が解題で指摘しているように、国民共同体が交易離散共同体を嫌悪し排除したからなのだろうか。これらの説明は互いに矛盾しないが、どうもその辺りをもう少し知りたいと思う。

       東京大学大学院総合文化研究科  学術研究支援員 
                   光辻克馬氏(国際体系論)



◆ 目次 ◆

   解題
   序文
  
   第一章  交易離散共同体と異文化交易
   第二章  アフリカ――交易の起源、競争の諸形態
   第三章  アフリカ――商人と交易共同体
   第四章  古代交易
   第五章  交易の新しい軸――紀元前二〇〇−紀元後一〇〇〇
   第六章  東アジア海上交易、一〇〇〇−一五〇〇年
   第七章  アジア海上交易へのヨーロッパ勢力の参入
   第八章  ヨーロッパ勢力拡大期のアジア交易離散共同体
   第九章  十七世紀の陸上交易――
          ヨーロッパ-東アジア間のアルメニア人商人
   第十章  北アメリカ毛皮交易
   第十一章 交易離散共同体のたそがれ

   参考文献
   索引
   訳者あとがき



フィリップ・カーティン『異文化交易の世界史』(NTT出版)

2005430日更新


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